グルグルだ乱★

『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』監督・藤森雅也インタビュー

劇場版忍たま乱太郎 監督・藤森雅也さんのインタビューが公開されていました。

天鬼は山田先生に出会わなかった未来の土井先生 ――もともと、原作小説『小説 落第忍者乱太郎 ドクタケ忍者隊 最
『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』監督・藤森雅也インタビュー① |... - Febri | アニメカルチャーメディア

天鬼は山田先生に出会わなかった未来の土井先生

――もともと、原作小説『小説 落第忍者乱太郎 ドクタケ忍者隊 最強の軍師』の存在は知っていましたか?
藤森 発売当時、スタジオ内でけっこうな話題になっていて、スタッフから「読んでみてください、そして映画にしましょう」と渡されたのをおぼえています。じつをいうと最初にこれをそのまま映画化するのは難しいだろうなあと思っていたんです。ファンの心をがっちりつかむ優れた小説ですが、活躍するキャラクターがきわめて限られていて、展開をいくらか補強しなければ尺も足りないだろうなと。

――それから十数年の月日が経ち、プロデューサーの御手洗(絵里)さんの熱意によって、ついに映画化が決まりました。どのように物語をふくらませていったのでしょう?
藤森 原作では、乱きりしんをはじめとする一年は組の子供たちが物語にほとんど絡まないので、土井先生が失踪したという現実に、彼らがどう向き合っていくのかを足したかったんです。ただ、きり丸の土井先生に対する想いも重要ですが、それだけでは厚みが足りない。土井先生とこれまで深く関わってきた人たちとの関係性を、さまざまな角度から描いていこうと。山田先生がいつも以上に「お父さん」の顔をしているのも、そのためです。土井先生を中心に重なり合う登場人物たちの感情を重層的に描くことで、劇場公開するのにふさわしい作品になるのでは、と思いました。

 

――テレビではあまり描かれない、忍(しのび)としての山田先生の一面が描かれていて、かっこよかったです。
藤森 ありがとうございます。本作において山田先生はとても重要な存在なんです。というのも、天鬼(てんき)というキャラクターは土井先生としての記憶を失っている――山田先生に出会わなかった未来を示しているわけです。土井先生が、戦災孤児であるきり丸に「同じような育ち方をしている」と言ったのは、テレビアニメ第19シリーズ・90話「土井先生ときり丸の段」ですが、山田先生に出会うまでの土井先生は、非常に過酷な環境を生き抜いてきた。映画冒頭に戦(いくさ)の描写がありますが、それは土井先生が味わってきた過去を示しています。

八方斎の位置づけに頭を悩ませた

――彼岸花を血に、案山子(かかし)を倒れていく人に見立てた戦の描写は、印象的でした。
藤森 やはり子供を含めた全年齢の方々に見ていただく映画なので、生々しい描写はできない。かといって彼らが生きている室町時代のその側面をすべて覆い隠しては、土井半助という人がいかにして「今」に至ったのかを描くことはできない。ということで、あのような表現にしました。もしかしたら土井は、ああいう人々の痛みや悲しみを与える側に加担しかけたこともあったかもしれない。というのは、僕の個人的な想像ですが、忍術学園で先生として勤めることで、過去に対する贖罪(しょくざい)の気持ちにどうにか折り合いをつけてきたのかもしれない。だからこそ記憶を失った今はドクタケ忍者隊の軍師として、なすべきことをまっとうしようとしたのかもしれないな、と。

――稗田八方斎(ひえた・はっぽうさい)によって、忍術学園こそが戦乱の世の原因である、と思わされていたわけですよね。その手段が、まさかマンガと歌とダンスだとは思いませんでしたが(笑)。
藤森 あまりにシリアスにしすぎても『忍たま』らしくないですし、楽しいシーンを作りたくて。八方斎の命(めい)で描かれたマンガを読まされて、歌って踊っているのを見せつけられるというのは、まあ場が和むかなと(笑)。

 

――八方斎も、今回はかなりあくどい役どころでしたね。
藤森 彼はあくどいし、賢いんですよ。その姿がどうしてもテレビシリーズの八方斎とつながらなくて、どうしようかと思案したことのひとつでした。劇場版だからといって、テレビシリーズとは「別」という位置づけにはしたくなかったし、テレビで放送されるエピソードの隙間にこういう物語があってもおかしくないな、と皆さんが思ってくださるようなものにしたかった。だから、八方斎も頭を打って様子がおかしくなっていたという設定を加えることにしました。

――見た目も、まつげが伸びて、ちょっとしゅっとしていましたよね。
藤森 八方斎に限らず、今作では一年生以外の全員の頭身を上げているんです。メインキャラクターはほぼ描き直しになったので、キャラクターデザインの新山(美恵子)さんは大変だったと思いますが、コンテの意図をきちんと汲んでくれました。ただ頭身を変えるだけでなく、それぞれのキャラクターが抱える複雑な表情も見事に描き分けられていた。土井先生の「記憶を失って別人になっていたわけではなく、元来秘められていたものが記憶を失ったことで引き出された」という人物像も、彼女のデザインがあってこそ説得力が生まれたんじゃないかと思います。

きり丸にとっては「今」が天国のような場所

――山田先生と出会い、忍術学園の先生になったからこそ、今の優しい土井先生がいるんだと思うと胸がつまりますね……。「土井先生ときり丸の段」で絵コンテと作画監督を務めた藤森さんだからこそ描けた物語だったのだとあらためて思いました。
藤森 今作では、きり丸の孤独についてもしっかり描きたいなと思ったんです。雪が降りしきるなか、ひとりぼっちでいる少年の青白い描写、あれはかつてのきり丸ですが、ああいう暮らしを重ねてきたからこそ、きり丸にとっては「今」が天国のような場所なのだということを描きたかった。

 

――土井先生なのかなと一瞬迷いましたが、やっぱりきり丸だったんですね。
藤森 あえて、ちょっとわかりづらい描写にしてみました。そういう過去を背負っているから、きり丸は最後の兵糧の配給シーンでも、しんとしたまなざしを向けているんですよ。他の子供たちは無邪気に「よかったね」と笑っているけど、きり丸だけは「一時の配給で何かが変わるわけではない」という現実を知っているから同じ表情にはならない。そういう細かな描き分けも見ていただけるとうれしいです。


後半(1/23公開)

戦う場面は「痛み」と「怖さ」を演出したかった

――今作では、飢えた人たちの描写が、かなりしっかりと描かれていました。
藤森 ドクタケ城の城下町って、けっこう繁盛しているんですよ。それはたぶん、織田信長がなした楽市楽座のように商売を活性化することで人を集め、経済を潤わせていたからだと思います。でも、城主が戦好きであちこちに攻め入っているということは、当然負傷した人や孤児の数も少なくなかったはず。冒頭の戦の描写だけではなく、その結果どういう負の側面が生まれるのかということも今作においては必要だと思いました。

――土井先生の行方を追う六年生たちが、天鬼と相対して戦う場面がありますが、これもまたテレビシリーズにはない迫力のアクションで、傷を負って血を流す六年生たちの姿も印象的でした。
藤森 善法寺伊作(ぜんぽうじ・いさく)の場合は、いつものように不運が発動しただけで、たんこぶもいつもどおりでしたけどね(笑)。あの場面は、「痛み」と「怖さ」を演出したかったんですよ。彼らは命のやりとりをしているのだという緊迫感がないと、天鬼の強さに説得力を持たせられなかったので、そのためには多少血が流れてもいいんじゃないかと判断しました。

 

――小さなお子さんも鑑賞するであろうなかで、やりすぎないようにしようなど、意識したことはありますか?
藤森 やはり、流血の程度は慎重に調整しました。ただ、僕は子供であっても映画を見るときにある程度の「痛み」と「怖さ」は伝わってほしいと思っています。どんな人でもふいに目にする可能性のあるテレビアニメでは、やはり踏み越えてはいけないラインというのがあると思うんですけど、映画においては甘いお菓子のような作品ばかりではなく、物事をいろいろな角度から描いた作品に触れることで、物語を楽しむ修練を重ねてほしいなと。制作側として非常に偉そうな物言いだということはわかっているんですけど、でも受け止めることのできる幅を広げ、理解する力を養うこともまた物語の役目なんじゃないかと思うので、とくにファミリー映画をつくるときは「痛み」と「怖さ」から逃げないようにしています。

 

――それは観客に対する強い信頼があるからですよね。
藤森 もちろん、信頼しています。とくに『忍たま乱太郎(以下、忍たま)』は、見る年代によって感情移入できるキャラクターが変わってくるでしょう。子供の頃は、一年は組のみんなと同じ視点で、年を重ねていくと大人たちの描かれ方が、じつにしっかりとしていることがわかってくる。だから、幅広い世代に何年経っても愛され続ける作品に育ったのだろうし、『忍たま』を愛する皆さんなら、きっと受け止めてくれるはずだと信じています。

いつも本気だからこそズレたときに笑いが起こる

――尼子騒兵衛さんとは、どのようなやりとりをしたのでしょうか?
藤森 今回はプロット、シナリオ、コンテが仕上がる段階ごとにチェックしていただきました。ただ、前作の劇場版を作ったとき、ご自宅で尼子さんがおっしゃっていた話が、僕はいまだに胸に刻み込まれていて。スポーツの「珍プレー好プレー」を特集する番組が面白いのは、プレーしている彼らが一生懸命だからなのだと、尼子さんはおっしゃいました。だからマンガ『落第忍者乱太郎』でも、決してウケ狙いのギャグは描かない。乱太郎たちはいつだって一生懸命で、本気だからこそ、結果がズレたときに笑いが訪れるんだと。

 

――たしかに本作でも、たとえば八方斎はウケ狙いで歌とダンスを披露したわけじゃないですよね。天鬼を手に入れようと真剣だからこそ、「だからってそんなことする!?」と笑ってしまった。
藤森 そのあたりの『忍たま』らしさを忘れないようにしていました。後半、物語が進むにつれて、人物の視点があちこちで入れ替わり、カメラワークもぽんぽん切り替わるから、見ている人の緊張感が切れてしまわないか、混乱しないか、そういった難しさもたくさんありましたけど、おかげでアクションもストーリーも盛りに盛ったエンターテインメントとしてお金を支払って見ていただくに値する作品になったと思います。ぜひ、今日お話しした細かい部分にも注目して、ご覧いただければ幸いです。

モバイルバージョンを終了