産経新聞「忍たま」 キャラクター名に込めた地元愛 尼子騒兵衛さん 尼崎に息づく乱太郎
産経新聞に尼子先生のインタビュー記事が掲載されていました。
「忍たま」 キャラクター名に込めた地元愛 尼子騒兵衛さん 尼崎に息づく乱太郎
5月から始まったふらっとホーム「尼崎編」もいよいよ最終回。〝オオトリ〟はこの人、尼子騒兵衛さんにご登場願おう。ご存じNHK最長寿人気アニメ「忍たま乱太郎」の原作者である。「尼崎で生まれた騒々しい子」からつけたペンネーム。本名は片根紀子さん。尼子さんにとって「尼崎」とは?と尋ねてみた。
尼子さんは今でも尼崎市築地に住んでいる。訪れた人によると「お庭には忍たまたちのオブジェがいっぱい。お家の中は、回る壁など忍者のからくり屋敷のようになっている」という。
■第1の質問 《「尼崎」ってどんな街?》
「大都会ほどドライでもなく、古都といわれている街ほどウエットでもない。住むのにちょうどいい湿度と温度がある街だと思っています」
尼子さんの住む「築地」は尼崎市の下町。尼崎港が近く、風に乗ってときどき潮の匂いがするという。外で遊ぶのが好きな少女だった。
■第2の質問 《いつごろから絵を描くように?》
「とにかく描くことが好きな子でした。小学生のころはテストの答案用紙の裏にいつも漫画ばっかり描いて…。中学生のころにストーリー漫画を描いて、それを交換日記のように友だちと見せあいっこしたのを覚えています」
高校を卒業した尼子さんは機械メーカーに就職し、その後会社に勤めながら佛教大(通信教育課程)に入学した。その間、友人から「あなたいい声してるわ」と言われ、電話交換業務の国家資格を取得。会社も広告代理店の電通に移った。もちろん通信教育は継続中。
そして昭和61年、運命を決定づける依頼が舞い込んだ。朝日小学生新聞から「忍者のギャグ漫画を描いてほしい」との依頼。『落第忍者乱太郎』の連載が始まった。
■第3の質問 《会社員、学生、漫画家の掛け持ち。よくやりましたね?》
「布団の中で描き、出勤前に速達郵便で出す。忙しかったけれど楽しかった。会社帰りの電車の中で、漫画のキャラクターがいずれ〝親孝行〟してくれる―と夢見ていました」
■第4の質問 《忍者学園ものを描くにあたって、こだわりがあったとか?》
「オリジナルの奇想天外な忍術を作ってもいずれ、アイデアは枯渇すると思いました。歴史が好きだったし、子供たちにはウソを教えてはいけない。だから時代考証や忍術をちゃんと学んで、それを描こうと思いました」
乱太郎の世界は室町時代。尼子さんは遺跡や史跡を訪ね、その時代の建物や服装、風俗を調べ上げた。時代考証がきっちりできている―といわれる映画『七人の侍』や市川雷蔵主演の『忍びの者』を何度も見たという。
■第5の質問 《なぜ、キャラクターの名前にたくさんの「尼崎」の地名を使ったのですか?》
「地名はその地域の歴史を知るうえで大切なもので文化財でもあると思うんです。昭和50年代に各地で地名の変更がおこりました。この尼崎でも…。地名を消し去るのは文化や歴史を消し去ること。尼崎の地名を使ったのは消えていく地名へのアンチテーゼで、大切にしてほしいという思いからですね」
なんという熱い心だろう。平成5年、NHKがアニメ『忍たま乱太郎』の放送を開始。「尼崎」の地名のついたキャラクターたちが親孝行を始めた。ちなみに尼子さんは8年の歳月をかけて佛教大を卒業した。
「尼子ギャラリー」がオープン
尼子さんの作品を紹介する「尼子騒兵衛漫画ギャラリー」が6月、尼崎市開明町の開明庁舎のあまがさき観光局内にオープンした。旧開明小学校の建物を生かした〝忍術学園〟をイメージした展示スペースのほか、購買部(物販コーナー)もある。
オープン記念として、乱太郎たちが古典文学の世界を紹介する『乱太郎とめぐるふしぎな世界原画展』を11月17日まで開催中。同展は尼崎城4階展示室でも開催。
「あまちゃん」「しんちゃん」
尼崎信用金庫のキャラクター「あまちゃん」「しんちゃん」も尼子さんの作品で、平成6年に誕生した。尼信では創業90周年の26年に地域貢献活動「あまちゃん・しんちゃんプロジェクト」を開始。「児童見送り活動」「地域の清掃活動」「カラス退治」「高齢者の声掛け」など各店、各地域にそくした活動を実施した。(田所龍一)